全くの赤の他人なのに涙が止まりませんでした。

私も社会人になって、数多くの葬儀に出席するようになりました。
その多くが会社関係の葬儀なのですが、正直なところ全くの赤の他人の方の葬儀なので悲しいという感情はあまり湧きませんでした。
むしろ、粗相の無いように振る舞わなければいけないという義務感に駆られ、身内の葬儀以上に緊張をして出席しているのでそこまでの感情まで気が回らないと言った方が正しいかもしれませんが。

そんな会社関係の葬儀ですが、先日いつものように出席をしました。が、一つだけいつもと異なることがあります。
それは心の底から悲しいという感情が湧きあがったことです。

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その方は取引先の役員でした。
と言っても殆ど家族経営の延長なので、役員と言っても堅苦しさの無い気の良いオジサンといった感じの方でした。
その方は私が入社してすぐに担当になった会社の方だったので、色々とご迷惑をおかけしてしまったと思います。
しかしそんな私の失敗やミスに対し、おおらかに対応をしてくださったのです。
どんなにか怒られるだろうと思っていても、いつもいつも笑いながら「しょうがねえな」と言って庇ってくれたのです。

その時に、私はどんなに救われたか書き表すことのできないほどの感謝と感激をさせていただきました。
私はこの方のこの対応に報いなければいけないと、その後は精一杯その方や会社に尽くすような思いで営業をさせていただきました。

そしてある時に「君は新入社員の頃はだいぶミスをしてたけど、今は立派になったよな。良かった良かった」と笑って言われたのです。
私は思わず目頭が熱くなり、ようやく少しだけ報いることが出来たかなと思ったものです。
しかし別れは突然にやって来ました。元々太っておられたので健康には留意をするように伝えてはいたのですが、高血圧に起因する脳出血で倒れられてしまったのです。
結局意識は戻らず、あのおおらかな笑い声は一生聞くことが出来なくなってしまいました。
いつもであれば義務感から葬儀へ出席するのですが、この時ばかりは心の底から葬儀へ行って冥福を祈りたい、そして最後にお礼を言いたいと思いました。

全くの赤の他人ですが、血以上にどれだけ生前世話になったのかが感情に大きく影響するのかを知りました。
葬儀に出席することで心の整理が出来、やはり葬儀というものは生き残る者と去って行く者との別れのけじめとして、欠かすことが出来ないのだなと痛感をしました。