手軽さと気持ちの問題

最近Aamazonでお坊さんの取り扱いが始まったというニュースを見ました。

なんじゃそれは、と思いながら調べてみるとどうやら注文するだけでお坊さんが派遣され法事法要の準備から当日の読経までを行ってもらえるようです。

葬儀当日の法事法要では利用できないなどの制限はあるようですがそれでもAmazonに注文するだけでお坊さんを呼べるのは非常に便利なように思えます。

法事を取り仕切る当事者になるのは大抵が突然身に起こる事です。
私の場合でも親の年齢や病気を考えると時々その事を考えてしまいますが、あまり意識してそれが現実になる事も恐ろしく詳しく調べておこうという気にはなれません。

s_011しかし時として現実は非情にやってきますし、その突然の事態にはこのサービスはとてもありがたいものでしょう。
なぜなら普段触れることの無い業種であるが故にお坊さんへのお布施やその他費用などの適切な価格はわかりません。しかしこのサービスの場合はそれらも全て料金に含まれているのです。

ですがこのサービスは非常にお手軽ではありますがお手軽過ぎる事がまた問題ではあるように私に思えます。
葬儀というものは誰が相手にせよ自身の記憶に一生残るようなものです。
ではそんな大事な儀式をお手軽に済ませてしまってよいものだろうかとも考えてしまうのです。

もちろん苦労してもお手軽であっても葬儀を執り行ったという結果は同じです。
私は特に死後の世界などは信じていませんので苦労したからと言って死者が喜ぶとも思っていません。

葬儀というものはあくまで死者の親族や知人たちが心の整理をする機会だと思っています。
ですが、だからこそ葬儀の執り行いで楽をしないことは、死者の為にやれるだけの事はやってあげたという自身の死者への思いに区切る行為でないかとも思うのです。

これからの社会様々なことが同じように簡略化されていくのかもしれません。ですが楽をするにせよしないにせよ私は自分の気持ちで納得していけることを判断して選択していきたいです。